千葉県君津市 カムイミンタラ


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浦川 治造氏
(Photo 関戸勇)

 1938年、北海道浦河町姉茶生まれ。
 父親の狩猟に付き添い、11歳の頃から山の知識を学び、自然との深い関わりの中、アイヌの精神性を受け継いできました。
 1983年、45才で家族を北海道に残し単身上京。学業は家の手伝いで忙しく専念できなかったため、読み書きも不自由でしたが、持ち前のバイタリティと周囲の人を惹きつけてやまない魅力で、2年後には解体業の会社を起こし、家族を呼び寄せます。

 1992年、関東ウタリ会の会長に就任。
 1995年にはアイヌ初めての国会議員、萱野茂氏を首都圏で支える会の会長に就任。
 1996年、山梨県大月市に、関東圏のウタリや海外からの先住民族との交流や儀式を執り行う場としてポロチセを建てます。
 同年、束京アイヌ協会を設立し、会長に就任。(2009年会長は星野工氏、浦川さんは名誉会長に就任。)


 2001年春には、姉宇梶静江氏と、同じく東京アイヌ協会の星野工氏とともに渡米。ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学、ポストン大学などで、儀式を含むアイヌ伝統文化を示し、海外の人たちへ向け日本列島先住民族の存在をアピールしてきました。
 2005年春から千葉県君津市に土地を借り入れ、儀式ができ、子どもたちが自然と交流できるような場を作ろうと、私財を投じ重機を自ら動かし奔走。
 同年7月30日「カムイミンタラ」オープン。

 関東圏に5000人以上が暮らすといわれるアイヌ民族のエカシ(長老)として、アイヌの精神性をたたえる儀式を日常の中で続けています。

<関連図書>
「アイヌの治造 ふたりの男が出会わなければ、生まれなかった物語。」
「アイヌ式エコロジー生活」

 


宇梶 静江氏

 1933年、四男二女の三番目の次女で浦川治造氏の姉。

 20歳まで農業を手伝い、家族の愛情に守られながら詩心と絵心を育みます。
 1953年、札幌の私立北斗中等科に入学し、同校卒業後上京。東京で働きながら苦学の日々。その後結婚し、宇梶姓となります。
 1972年、朝日新聞に「ウタリ(同胞)よ手をつなごう」とアイヌ人権記事を投稿。それが大きな反響を呼び、のちに東京ウタリ会を結成し、先住民族アイヌの権利獲得のための社会活動に専念するようになります。
 1975年頃より都議会に働きかけ、東京都在住のアイヌ民族の生活実態を調査。その結果、新宿職業安定所にアイヌのための相談員を置くこととなり、初代相談員を務めます。その活動の軌跡は、道外の活動家として唯一「北海道ウタリ協会五十年の歩み」に記載されています。

 1996年、北海道ウタリ協会主催の職業訓練所でアイヌ刺繍を勉強し直し、和服地を用いて、伝統刺繍でアイヌの精神世界を古布絵に表現することに成功。独創的なアイヌ文化のアートが誕生したとして報道されます。特に最近では、自然を神と敬う日本の縄文の心を追い求め、そこから縫い合わされる詩情豊かな表現に満ちた作品は海外でも高く評価され、国内外を問わず、その活動は各地での作品個展や人権問題の講演など多岐にわたります。

 1999年、関東圏在住のウタリたちをモデルに、東京フジタヴァンテにてアイヌ刺繍作品のファッションショーを開催。
 2001年、弟の浦川氏と共に、米国の文化財団に招かれて渡米。
 同年11月には福島県いわき市美術館にてオーストラリア先住民アボリジニと対話。
 2002年、ヨーロッパヘの文化交流団に参加。ドイツ・ミュンヘン市で講演。
 2003年オーストラリアの先住民族との文化交流週間に参加。
 同年アイヌ工芸作品巡回展で刺繍古布絵が優秀賞を受賞。
 2004年(財)アイヌ文化振興・研究推進機構よりアイヌ文化奨励賞を受賞。
 2007年、「アイヌの映画を作って!」と周囲のサポーターたちによびかける。製作委員会発足。
 2008年、7月のG8サミットに先がけて開催された「先住民族サミット」に共同代表として参加。
 2010年、ドキュメンタリー映画「TOKYO アイヌ」が完成。


<関連図書>
「アイヌの治造物語 思いはこずえからこずえにつなげて」

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