三世代が同じ舞台に! 貴重な映像記録。
アネサラ(北海道浦河町姉茶)に生まれ育った遠山サキさん(81歳)。
サキさんから子供たちへ伝えられた、心のイフンケ。
それは、先祖代々から脈々と受け継がれてきたアイヌの心そのものです。
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アネサラと呼ぶ故郷の自然とともに歩んできた暮らし。シネウプソロ(ひとつのふところ)で育まれた命、その命の賛歌がウポポ(歌)になり、ウチャシクマ(言い伝え)になって今があります。自らの言語を封じられてきた長い歴史の中で、アイヌ語は歌の中で生き続けました。
これは、2009年2月15日に収録された、遠山サキさん家族の貴重なライブ録画です。 |
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● 販売価格 2,500円
● 「イフンケに守られて」制作委員会作製
● 2009年 16:9 カラー78分22秒、音声モノ
● DVD編集・撮影/森谷 博、撮影/高橋 英明、写真提供/関戸 勇
● 「イフンケに守られて」制作委員/佐藤 真起、里内 藍
● 協力/「TOKYO アイヌ」映像製作委員会、スペース・オルタ |
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遠山 サキ
1928年、北海道浦河町姉茶に生まれる。5歳で母を亡くし、養父母の元で甘えられない寂しさ、学校でのいじめなど辛い子供時代をおくる。農家へ奉公に出た後、実家で農業を始める。19歳でアイヌの元で育った和人、長吉と結婚。優しい人だったのでほっとする。6人の子どもを育て上げた。「辛い日々が長かったけど、子どもができて明るくなった。子どもはいいね。今は幸せだ」と語る。アイヌ文化伝承者として、家族だけでなく多くの人に慕われる。 |
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弓野 恵子
…長女。幼い頃、祖母サトがひとり泣きながら歌ったヤイサマが今も心にあるという。アイヌという言葉を聞くのが辛くて17歳で上京して働く。上京時の夜行列車で運命の人と出会い19歳で結婚。以来アイヌを封印して生きたが、10年ほど前に誘われてアイヌ刺繍、カムイユカラの奥深さに魅せられ、その伝承に力を入れている。 |
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床 みどり
…次女。アイヌ文化に囲まれて暮らしたいと願い、阿寒湖アイヌコタンに住む。民芸品とアイヌ家庭料理の店「ポロンノ」を家族で経営。自然の恵みを利用した心尽くしのアイヌ料理が訪れる人々の心を開かせ、アイヌ文化を伝える憩いの場となっている。地元の子どもたちへの文化伝承にも力を注ぐ。世界口琴大会(1998年オーストラリア、2006年オランダ)にムックリ奏者として母サキ、妹悦子と共に参加した。 |
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堀 悦子
…三女。母サキの元に残って、母の手仕事を身近に学んできた。結婚後は二風谷に住み、その後母と同じ敷地内に住んで暮らしのすべてにわたって母を支えている。また弟二人の姉として、弟が学校でいじめにあうととんでいって守ったしっかり者。現在は浦河ウタリ文化保存会で、歌や踊りなどの伝承に力を入れている。結婚した堀敏一は木彫一筋、五百羅漢像を20年かけて完成させた。「北の大地にらかんさん遊ぶ」(撮影・須藤功 農文協)の写真集がある。 |
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遠山 長寿
…長男。結婚後も両親の側で暮らしてきたが、アイヌ文化に心を開いたのは50歳を過ぎてから。2006年「第18回アイヌ民族文化祭」でアイヌ語劇「スズメの物語」に参加したのがきっかけだった。その後アイヌ木彫り、踊りなどを熱心に習得している。この日は練習を重ねてきた「ク リムセ (弓の舞)」を初披露した。 |
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床(下倉) 絵美
…床みどりの長女。阿寒湖アイヌコタンで育ち、歌も踊りも身近にあった。20代で上京し、彫金を学ぶ。彫金家の下倉洋之と結婚、高円寺にジュエリーショップ「Ague(アゲ)」を開いたが、現在は高尾にアトリエを構える。現在は3人の子育てに追われるが、歌の活動も続けている。ソロで歌う澄んだ歌声は、多くの人を魅了している。 |
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弓野 正勝
…弓野恵子と22歳で結婚。妻の影響でアイヌの弦楽器トンコリに関心をもつ。2003年に退職後、トンコリ奏者・居壁太さんにトンコリの基礎を習い、妻のウポポ(歌)との重奏を楽しんでいる。 |
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